多くの人が「人と環境にやさしい交通」が必要と考え、様々な政策立案や社会実験が全国各地で行われている。今年は温室効果ガス排出量削減の中期目標(1990年比2020年まで)で25%削減を掲げた政権が国内外で支持され、気候変動枠組み条約第15回締約国会合 (COP15) も開催された。環境問題を地球規模で考え地域で実践するという Think Globally, Act Locally が叫ばれ、私たち市民の環境意識も高いようだ※1。
当会が取り組む交通まちづくり分野では、これまでのクルマ依存を改め、歩行者、自転車や公共交通の利用者が不自由なく安全・快適に生活できる「人と環境にやさしい」まちづくりが求められている。この事例は欧米を見れば枚挙に暇が無いほどだが、国内ではなかなか実践できずにいる。
そうした中、国内で唯一と言ってもいいだろう、公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりを進め、結果を出すに至っている富山市でその陣頭指揮を執る森雅志市長が、去る12月5日に開催された「第4回 人と環境にやさしい交通をめざす全国大会 in 東京大学」での基調講演の講師に招聘された。 森市長は、元々は「人と環境にやさしい」ことが動機ではなかったので「結果オーライ」だと前置きされていたものの、その講演からはまさに人と環境にやさしいまちづくりが実践され、結果を出されている様子が伝わってきた。
富山市の取り組みには「公共交通の活性化」「公共交通沿線地区への居住を緩やかに進める」「中心市街地を魅力のあるものにしていく」という3本の柱があり、それぞれ数値目標を掲げて取り組んでいるという。
この中で最も知られているのは公共交通そのものの活性化、特に「富山ライトレール」は代表例だ。 これは、JR富山駅への北陸新幹線の乗り入れに伴い高架化工事が行われており、この工事の邪魔になった不採算のJR富山港線の廃止が検討されたことを受けて富山市が主導し、富山駅からの 1.1km を道路上に付け替えた上で、残りは既存の鉄道敷を活かして次世代路面電車(LRT)として再開業させたものだ。
このライトレールが人気を博した。不採算の鉄道を廃止しバスに転換すると利用者は半減またはそれ以下になると言われている※2が、富山市では鉄道を軌道(次世代路面電車、LRT)で代替し、もちろん利便性を高める工夫もされた(たとえば左写真はライトレールとバスが同じホームで乗り換えができるよう工夫された終点・岩瀬浜駅。ダイヤも接続しているので、このようにバスと電車が並ぶ姿が見られる)結果、利用者は鉄道時代と比べて平日で2.1倍になった(休日は観光に訪れる人で大変賑わっているものの変化が激しく比較が難しい)という。 平日の増加分は主に自家用車やバスから移ってきた人と、日中時間の高齢者で、前者は環境対応の取り組みとして評価できるし、後者は50代60代70代の人たちが外出するようになり、「日中ニコニコと本当に笑顔でおばあちゃん達が乗っている姿を見ることができ」るのだという。全国的に超高齢化時代への対応が叫ばれる中、年を重ねても元気に生活できるまちづくりに公共交通が果たす役割が大きいと言えそうだ。
もっとも、富山ライトレールが走るのは市内の一部地域でしかないが、富山市ではこれに満足することなく、市内全域で公共交通活性化に取り組まれている。富山駅を中心に各方面へ運行されている路線バスを利用しやすくする、JR高山本線の運行頻度を高める、そして今月23日には、富山地方鉄道市内線の環状線「セントラム」940m を新たに開業させる。さらに来年(2010年)春には路面電車の電停付近に貸し自転車ポートを設け、コミュニティサイクルも導入する予定という。
次に公共交通沿線地区への居住促進だが、これは駅から500m・バス停から300mの範囲を居住推奨地域とし、ここに質のいい集合住宅を建てる人に補助金を出したり、市が借り上げて市営住宅にしたり、さらに中心市街地では家賃補助を出したりもしているそうだ。こうした取り組みの結果、これまで減り続けてきた中心市街地の人口が社会増(転出より転入が多い状況)に転じたという。社会インフラ整備や除雪、ごみ収集などの行政コストを減らせるのは言わずもがな、さらに富山市全体での住宅着工件数が減っている中でライトレールの沿線に限り1.61倍(平成16年比)に増えたという。つまり鉄道への投資が新たに外部経済を生み出し、外部の経済を活性化させたということだ。
もうひとつ、中心市街地の魅力を高める取り組みについては後述したい。
このような前向きな取り組みが、他の地域では出来ず、富山市で出来ているのはなぜだろう。様々な要因があるのだろうが、この講演では市長の2つの基本認識が明確に語られていたことに注目したい。
まず、人口減少時代に入ったことを直視し、変化に対応しようと取り組まれている。 全国的に、これまでは人口増加への対応が行政課題だった。都市圏は拡大し、学校などの施設や道路がどんどん郊外に造られた。ところが今後は子供が減っていく。すると今必要な学校は造るが、20〜30年後には余裕が出てくることを見越した設計をせねばならない。このように設計思想そのものを大きく変えることが、行政に求められているという。
もうひとつ、どこへでも行けて一見便利に見えるマイカーが、実は万能ではないことをきっちり認識している※3。富山市が平成15年に調査したところ、全市民の約28%がクルマを自由に使いこなせないことが明らかになったという。1軒に3〜4台ものマイカーがあっても不思議ではないというほどクルマが普及している富山市であっても、市民の3割はクルマを自由に使えないのだ。高齢者や未成年者で免許を持っていない人はもちろん、免許は持っていても家庭に1台しか無いクルマをご主人が会社に乗っていった後は、奥さんは公共交通で暮らすしかない。それが「クルマ社会」の実情であり、しかもクルマが普及するほど公共交通は衰退するから、そういう人たちの移動を保障する行政コストも生じるのだ。
日本の少なくない自治体は、道路を造ることにはとても熱心だが、乗り物のことまでは考えていなかった。しかし、道路ができても乗り物が無ければ移動需要は満たせない(歩き通すならそれでもよいが、実際には歩くための道が造られているわけでもない)。まさに富山市はこの問題に取り組み始めたのだ。
このように先進的な取り組みがされている富山市だが、その動機は環境のためというより、新幹線の開業に伴う在来線の廃止に対応したことがきっかけで、将来の人口減や都市の拡散による行政コストの増大や高齢化などに対処することが主な狙いだという。 そして、富山市が方針転換した理由は、「DID地区の人口密度は全国一低い」という「日本一薄っぺらなまちをつくってきた」ことによる弊害に直面したことだという。つまり、これまで「クルマを自由に使えない人には極めて住みにくい都市構造を造ってきた」ことの反省から得られた結果だと言うのだ。
翻って川崎市をはじめとする大都市圏に住む私たちは、クルマが無くても何ひとつ不自由することのない、極めて恵まれた環境にいると言える。しかし私たちは、せっかくの恵まれた環境を前向きに評価してきただろうか。 鉄道や路線バスが頻繁に走りどこへでも行けることは、空気や水のように意識されていないように感じるが、空気や水が無くなったら生活できないのと同様、公共交通も無いと生活できないのだ。私たちは今が恵まれているからこそ、誰もが公共交通を使える まちづくりの大切さに、気づいていないのかもしれない。
ここで富山市の3つめの柱、中心市街地の魅力を高める取り組みに触れたい。富山市では路面電車の利用者を平成19年からの5年間で1.3倍にし、中心商店街の来街者を同1.3倍にするという数値目標を掲げて取り組まれている。そのために先の路面電車の環状線化やコミュニティサイクルの導入にも取り組まれているし、中心市街地に点在する「ゴマ塩状態の青空駐車場」を区画整理して人が集まる広場を創出し、イベントを開催するといった取り組みもされているそうだ。こうした結果、現時点で中心商店街への来街者が2割ほど増えたという。
この施策を始めた理由として、中心市街地の空洞化が指摘された。富山市では、拡散型のまちづくりが続いた結果、「中心部は青空駐車場と空き家だらけになり」「とても外から投資を呼び込むことはでき」ない状況になってしまったという。 川崎市に数十年間住み、まちの変化を見てきた筆者は、とても他人事には思えなかった。川崎市内では中心市街地空洞化という言葉はほとんど聞かれないのだが、実際には、クルマ中心の「再開発」が進められるに伴い、各地で駅前商業地が縮小し、空き家こそ少ないものの「ゴマ塩状態の青空駐車場」は増えている。その典型例は、川崎市内第二の商業地であった溝口駅前だ。かつて大変賑わっていた地元資本のスーパーやパン工場などが退店した跡は青空駐車場となり(右写真)、かつて全国チェーンのスーパーがあった場所には今やマンションが建っている。 川崎市では残念なことに来街者の交通手段分担率すらまともに調査されていないようだが、この街に数十年住む筆者が見た限り、クルマは大幅に増えた一方で、街の賑わいはさして変わらず、歩く人はむしろ減った感すらある。
今は「都心回帰」の流れの中で、人口増で辛うじて支えられてはいるものの、人口減少時代に川崎市だけいつまでも人口増が続くわけがない。富山市の事例は決して他人事ではなく、今のような「まちづくり」を続けていたら明日は我が身だと思うべき、全国的な課題なのだと思う。
私たち日本人は、クルマを最優先するまちを造ってきた。次々と造られる道路が、自動車中心の構造に「改良」されている様子を見れば、誰しもそう思うだろう。かつてはそういう社会の要請もあり、行政はそれに応えてきたのかもしれないが、よもや、そういう時代ではなくなってきた。
しかも、今後は人口が減少し高齢化が進み、これを裏返せば働き手が減ることを意味するのだから、問題はより深刻になる。しかし、薄く拡がった富山市を腕力で集約化することはまず無理だと指摘されていたように、行政にできることは専ら誘導策であり、それには時間がかかる。まちづくりは「百年の計」で、とはよく言われるが、少なくとも数十年はかかるだろう。つまり今からなら 2030年、2040年、2050年に通用するまちづくりを行う必要があり、「コンパクトなまちづくり」は全国的な課題と言えるだろう。富山市は、行政にできる事がたくさんあることを、明確に示してくれた。
今や水や空気のように私たちの生活に欠かせない交通が、将来にわたり持続可能なものにするために、私たちは今すぐ動き出さねばならない。また環境問題や交通事故などを考えれば、自家用車に頼った生活は続けられないことも明らかだ。こうした基本認識に立ったとき、私たちは何をすべきか。今の川崎市は公共交通に恵まれているからこそ、その利点を最大限活かして、歩く人、自転車や電車・バスに乗る人をより安全・安心・快適にする まちづくりへと転換すべきではないか。奇しくも全国有数の拡散都市になってしまった富山市で起きた変化は、私たちにこそ求められている。